oneichanmemo

住む食う寝るに、見る書くヲタク

キスマイワールドでのわたし

いつからだかわからないけど、現場に行くことや映画を観ること、音楽を聴くこと、もっといえば久しく会っていなかった友人との飲み会も、全部が答え合わせをしているように感じるようになっていた。自分という人間が、何を見て育ってきたのか、何を見てどう思うのか、そう言ったことを他人と比較してしまうようになっていた。多分、わたしにとってのSNS疲れなんだなと思ってたんだけど、友人と会うことすらもそうなんだから、もう人生の諸々が総て答え合わせのように感じていた。正解なんかないのに、理想や正解に限り無く近い他人を見つけては自分の浅薄さに転げ回った。
でも、わたしにとって一番浅ましいのは、それら総ての根本は他人への嫉妬だ。
自分が、本当はがらんどうの、何にも持ち合わせないままここまで生きてきてしまったことを、他人に気付かれることが怖かった。他人への嫉妬で焼き尽くされそうなくらいの心を、自分で浅ましいと思いながらも止めることが出来ていないまま、ずっと悩んでいた。
そして、その嫉妬っていうのは、精神やそれを表す言葉に対する物が大半だった。正直わたしは自分がブスだと心底思ってるし、それはどうやったって覆るものじゃないから、そこに嫉妬なんか生まれなかった。だけど、自分が外見に恵まれていないからこそ、自分をよく見せたいという気持ちが文章を書くことや、面白いことを思い付くって所に対して向かっていた。面白いなあと思いながらも、嫉妬で狂いそうだった。それに自分自身で気付かないように、そしてそんな自分に気付かれないように、じっと息を潜めて生きていた。

でも、昨日、二階堂高嗣さんを見て、上記すべての価値観がひっくり返ったように思った。かっこいいということ、好きと言うこと、それらに言葉を尽くす必要があるのか、と思ったし、いくら言葉を並べたって不足してるし、むしろ野暮ったいんじゃないかって思った。自分が拘ってたことは、本当にくだらないことだったんだと、改めて気付かされてしまった。本当に身包みすべて剥がされたような気持ちになってしまって、自分の矮小さを恥じた。

可愛いということに対する価値観は、道重さゆみさんに出会って総てがひっくり返った。ブスのわたしでも、可愛いと思うものを可愛いと言っていいんだ、って思ったし、許されたような気持ちすらした。そこから、自分はとても生きやすくなった。ピンクのものを持つ理由が出来て、ピンクを好きになって、ピンクが好きだと言えるようになった。

人間としての価値観を変えられてしまった対象がアイドルだってことが、いかに自分が周囲の人間の話を受け止めてこなかったってことなのか表してるようで笑えてしまうけど、事実自分は近しい人ほど自分を知られたくなかったんだから仕方ない。

わたしは価値観をひっくり返されてしまったのに、でもそれをまだ認めることが出来ない。だってそれじゃあ、今までの自分はなんだったんだって思うばかりじゃないか。ここまで思って、わたしは、はたと気付く。そうか、これはもう、二階堂さんに、恋してるんだ。わかっていたことにまた気付く。そして彼をまたこの目で見る日まで、わたしは自分と戦って答え合わせを繰り返して、そしてまた新しいわたしになる。

そして、このエントリのあと一時間後にはまた東京ドームに入ってるわけで…終わった後、また自分がわからなくなるのだろうか? 今の気持ちを残しておきたかったから、行きの電車でぶわーっとここまで書き殴った。ほんとに、まさに、書き殴るっていう感じ。高揚感と不安とがせめぎあってる。今日の水道橋の空気は、何度も来た場所であるにも関わらず、とても息苦しいかもしれない。

ここまで書いておいてなんだけど、やっぱり二階堂高嗣さん世界でいちばんかっこいい!! 行ってきます!