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oneichanmemo

住む食う寝るに、見る書くヲタク

2017年にさゆちゃんを見た気持ち

※ネタバレもありますが、なんかもう雑感です。

 

 

2014年11月26日の夜、わたしはとても怒りながら友人と牛丼を食べていた。詳しくは割愛するけど、別にさゆみちゃんに対して怒ってたとかじゃなくて、ひたすらに「こんなことある???」っていう怒りだった。

そして、再生の日をずっとずっと待っていた……という訳でもなかった。待っていたけど、戻ってこないなんて全く思わなかった。さゆみちゃんは「またいつの日か…」と残していたし、それがいつになるかわからなくても、絶対にその日は来るだろうな、その日までわたしはさゆみちゃんのことがずっと好きだろうしな…と思っていた。

そんなものだから、ブログの更新が来て、嬉しかったけど、SNSやネットニュースでわあわあと言うことに、なんだか少し違和感があった。さゆみちゃんがまるで、天の上の存在のようで……この辺はうまく説明できないけど、なんだかなあ、とぼんやり思っていた。そうやってぼんやりしていたから、再生と希望と言われてもぴんと来なかったし、ブログの写真を見てもさゆちゃんだなあ、くらいに考えていたし、この日が来ても、全然実感が沸いてこなかった。

なんだけど、グッズを買った瞬間に、ぶわーーーーっと来る心の動きがあった。いま、わたしは、道重さゆみさんのグッズを買った。それがスイッチのようだった。友人に、落ち着かないよう、とLINEをして、席についても圧迫される感じすらあった。木星がうっすら流れていた。

そして公演が始まってさゆちゃんが登場したとき、「あっ、わたしの大好きなさゆちゃんだ」と思った。ステージで歌い踊るさゆちゃんが、わたしは大好きだと、またしても実感した。新しい曲でも、さゆちゃんにぴたりとハマっていたし、表情も仕草も目線の配り方もさゆちゃんだった。

 

ラララのピピピが流れたとき、泣いてしまった。

わたしの心は、2014年の山口夜公演後を思い出していた。あんなに切なくて楽しかった夜は、たぶんもう二度と来ない。けれど、時が流れても、わたしはさゆみちゃんのことが大好きなままだった。待っていたつもりはなかったけど、気持ちはずっと続いていて、それはきっと、この曲を聴く瞬間を、待っていたんだな、と思った。悲しい曲じゃないのに、ぼろぼろと涙が零れた。

 

レイトショーも続けて観たのだけれど、どこからどこまでもさゆみちゃんは道重さゆみで、それはもう、とてつもなく可愛かった。可愛い。好き。大好き。幸せだなあ、新鮮な贅沢だなあ。これからもずっと好きで、これからもこうやって、さゆみちゃんに元気をもらうんだろうなあ。

 

 

途中、さゆみちゃんを見て、ふと、玉森裕太さんを思い出した。全然似てないけど。さゆちゃんと玉森さんは、わたしと同学年にあたる年代で、最近の玉森さんからは、すごく覚悟を感じていた。今日のさゆちゃんを見ても、覚悟を感じた。わたしはこの先、どうやって働いていくんだろう、こうやって、覚悟を持って進めるのかな、って思った。芸能とふつうの仕事を比べるものではないけど、同世代の人がこうやって覚悟を決めて働く中で、わたしはどうしたいのか。

そして結果、わたしも、覚悟をもって、仕事をしたい。まっとうに役割を果たしたい。そういう元気をもらった。日々、自分に恥ずかしくないように生きていきたい。そう、強く思った。ブログにもよく書いてるけど、わたしはすぐに忘れてしまう脳みそなので、こうやって書き残しておく。

 

 

わたしは明日も明後日もさゆちゃんがすき。それだけは絶対に忘れない。