oneichanmemo

住む食う寝るに、見る書くヲタク

Day 29 「自分にとって推しとは?」#30日推しチャレンジ

メディアに上がるような「推し活」ってのは、なんかキラキラしてて、華やかで、まるでオタクが肯定されてるような感じがして、従来から「オタク」「推し」と関係のある人たちからすると「そういうんじゃないんだよなア」と首を傾げたくなる気持ちも、マアわかる。

 


うちらの知ってる推しってのは、もう、金銭、精神面ともに生命を削っているような感覚で、推しにするとかしないとか、そもそも選べるようなものじゃなくて、華やかではなくどちらかといえば煮詰まってドロドロしているようなオタクが抱く感情。

なんだけど、もう、いいんじゃないですかね。カジュアルな人たちの気持ちから、煮詰まったオタクまで、全員推し活ってことで。

 


そう思えるようになったのは、新菜ちゃんを応援してたからかも!と思う。新菜ちゃんはどんなオタクもどんな気持ちも「そうだよね!」って受け止めてくれて、受け入れてくれた。わたしは新菜ちゃんを応援しているとき、そりゃあドロドロの気持ちになったこともあったけど、8割方は健やかで、楽しくて、きらきらしてた。

 


推しから元気をもらえる!みたいな感覚も正直わからなかった。元気っていうより、生命の躍動を感じてたから。わたしは自分のオタク活動を振り返る時、よくこの「生命の躍動」というワードを使ってたんだけど、それは良くも悪くも劇薬だった。心底辛いと思ったこともあったし、周りのオタクと自分を比べてたし、お金がないとつらかったし、だけどライブで一目姿を見たら救われてた。オタクをやってて出会うアイドルはみんな魅力的で、とても人間的で、ずっと見ていて楽しかったし、それに伴って出会ったオタクたちは本当に面白い人ばかりだった。会社に行って、学生時代の友だちと遊んで、という生活だけでは、とても出会えない人たちだったし、出会えない感情を味わった。本当に躍動という言葉がお似合いの生活で、こんなに刺激的なことはないと今でも思う。

 


オタクになって結構初期の時は、まだハロプロ現場には若い女の子は全然いなくて、みんな最寄り駅から無言で会場へと歩いていた。その道すがら、わたしは、おじさんのチェックシャツの襟元から、ピンクのTシャツが見えるのが、なんとなく「いいな」と思っていた。

日常では色んなことがある人たちが、この土日だけは、推しメンの色のバカみたいなデザインのTシャツを着て、好き勝手にはしゃいでる。ジャンプしてる人もいれば、アンダーアーマー装備してフリコピしてる人もいて、密やかに何もせずにステージを見てるだけの人もいる。全員、ハロプロを好きで、日常にふと帰れば、その姿をチェックのネルシャツで隠してる。そのオタク姿の慎ましさが、わたしはなんか「いいな」と思っていた。

 


推しって何かって言えば、生活のあらゆる行動に意味ができることだと思う。好きな推しメンの色のものを買ってしまったり、食べていたご飯を真似してみたり。わたしは自分には鮮やかな色なんて似合わないと10代の頃はずっと思っていて、どどめ色ばかりを着ていた。でも、推しメンが出来た時、わたしでもピンクを持っていいんだあ、と思ったりした。

 


そこから色んなことがあって、前述したドロドロした気持ちを抱えて戸惑ったこともあったけど、新菜ちゃんの真っ直ぐさや、それに伴う自分の感情を見つめ直して、「推しっていいな」と考えたわけです。チェックシャツから覗く慎ましさと、日常に色を与えてくれて、自分の人生がひとつ面白くなる。それがわたしにとっての推し。捻くれてしゃかまだったわたしがこうなれたのも、すべて新菜ちゃんのおかげ。本当にありがとう。