oneichanmemo

住む食う寝るに、見る書くヲタク

5月になったら

コロナと言う言葉が広がりつつあり、でもなんだかよくわからないねって言う雰囲気の時に、一番最初に「体調気を付けてね、R1がぶ飲みしよ」って声かけてくれたのが新菜ちゃんだったな。結構鮮明に覚えていて、ハロショでにきちゃんが定期イベントやったときだと思う。その頃わたしはだいぶコロナをなめていて、「新菜ちゃんは優しいなあ」なんてことを、撮りたてのチェキを眺めながら思ったんだった。

あまりにも日常に新菜ちゃんの存在が溶け込みすぎていて、そんなふとしたことがたくさん思い浮かんでは、新菜ちゃんは本当にしっかりした人間だなと思ったりする。そして、わたしの目の前でしっかりアイドルでいてくれた。


人間からの感情の矢印が向けられるすぎるのって、どんな気持ちなんだろう? わたしは、少し怖いかもしれないと思う。よく、大道芸や路上ライブを、何の躊躇いもなくスマートフォンで撮影する人たちがいるけど、人間にカメラを向けるって、結構暴力的だなと感じる。おたくはそれよりもマシかどうかなんて、比べることでもないが、撮影したことで満足して、その場で消費してしまうような関係には、到底思えなかった。

お金を払ったら応援させてくれる。時々、気持ちが悪くて歪なことだなと思う。堂々と人に言える趣味ではないと思う。お金を払う、応援する、ファンになる。どうやったって、感情の矢印は、強くて、鋭くて、だけど時にすぐにどこかに行ってしまって、そんなものをずっと向け続けられるって、どんな気持ちなんだろうか?


新菜ちゃんに歌割があったらとんでもなく嬉しくて、言動からその優しすぎる人柄に触れると、こんなに良い子がいるんだろうかって驚いた。サービス精神が旺盛で、だけど自分を強く持っていて、いつだってすごくかっこよくて可愛かった。「自慢の推しメン」ってみんな心底思ってるんだろうけど、わたしも同じ通りに心底思っていた。

だけど、だからこそ、こんなに良い人間なんだから、アイドルじゃなくたって、どこにいったって、なんだって出来る子だよなとも思い続けていた。アイドルを辞めてほしいなんて思ったことはない。だけど、いつか別の道に行くとして、それはどう考えたって輝かしいなと思っていた。


だから、さみしいのは、おたくの心だけの問題なんだよな。それを、発表されてからずっと考えてる。


時に強すぎる矢印を、わたしはきっと隠せていなかったし、「頑張れって言葉は、『頑張り続けなければ』という無理強いにならないだろうか?」と悩んだりもした。あまりにも優しい子なので。だけど、新菜ちゃんは、「ウチらWinWinの関係ってことじゃん!」なんて笑ってくれたりした。そんな言葉に、救われたり、甘えたりした。新菜ちゃんがアイドルでいてくれるから、わたしはいつだってオタクでいられた。

 

あまりにも好きになりすぎてしまったのと、こんなにも好きになっていたんだと自分で驚いている。胃がぐるぐると痛むような、重いような、そんな気持ちをずっと抱えてる。悲しいんじゃなくて、つらいんじゃなくて、さみしいんだな。恋愛じゃなくて、友情じゃなくて、こんな風になるんだな。新しい感情に出会って、ずっとずっと戸惑っている。


どこにいったって、何をやったって、新菜ちゃんなら大丈夫だから、アイドルでいてくれる間に、たくさん感謝を伝えて、強く背中を教え上げられるような応援をしたいなと思っている。気持ち悪くても、歪でも、そうなんだから仕方ないよな。


5月になったら、美味いビールを飲んで、美味い寿司を食べるぞ。